東京高等裁判所 昭和35年(う)1431号 判決 1960年11月29日
控訴人 被告人 大越吉太郎
弁護人 貝塚次郎
検察官 岸川敬喜
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は被告人及び弁護人貝塚次郎提出の各控訴趣意書記載のとおりであるからここにこれを引用する。これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。
右弁護人の控訴の趣意は原判決には審理不尽並びに事実誤認の違法があり、破棄を免れないというのであり、被告人の控訴の趣意も要するに原審の事実誤認を主張するものと解せられるのであるが、原判決挙示の証拠を綜合すれば、原判決認定の事実はすべてこれを認めることができ、記録を精査検討しても原判決に審理不尽乃至事実誤認の疑は存しない。弁護人は証人威迫罪はその文理、法理解釈上当然に威迫されたとされる証人らが公判審理の段階上威迫された後に証拠調を受ける可能性のあることを必要とし、かつ同罪はいわゆる目的罪の一種であるから被告人において証人らを威迫することによつて公判の結果に何らかの影響を及ぼそうという積極的な目的意識が必要である、と主張するけれども、刑法第百五条の二所定のいわゆる証人威迫罪は、いやしくも自己若しくは他人の刑事被告事件の捜査若しくは審判に必要な知識を有するものと認められる者、またはその親族に対し当該事件に関し故なく面会を強請し、または強談威迫の行為をすることによつて成立するものであつて、本罪はもとより証拠湮滅罪の一類型として犯罪者に対する国家権力の捜査権及び裁判権を妨害する行為を禁止し、もつて司法に関する国権の作用を保全するにあるものと解すべきであるから、当該事件がいまだ起訴前の捜査段階にあると、すでに起訴され公判審理の段階にあるとにより犯罪の成否に消長を来すべきいわれがなく、したがつて本罪が成立するためには、必ずしも所論のごとく、証人らが公判審理の段階において威迫された後に証拠調を受ける可能性のあることを必要とせず、また本罪が成立するために要する犯意としては、自己若しくは他人の刑事被告事件(起訴前の事件を含む)の捜査若しくは審判に必要な知識を有する者又はその親族であることを認識し、かつ、これに対し当該事件に関し故なく面会を強請し又は強談威迫の行為をなすことの認識があれば足り、必ずしも所論のごとき公判の結果に何らかの影響を及ぼそうとの積極的な目的意識を必要としないものといわなければならない。なお、本件は被告人が原判示大沢、岩田らを訪問した理由は単に示談のためであり、それがその場の相手方の態度、言語によつて口論にまで発展したものに過ぎない旨の弁護人の所論は記録に徴し到底認め難いところである。ひつきよう、所論はいずれも採用し難く、論旨は理由がない。そこで、刑事訴訟法第三百九十六条に則り本件控訴か棄却すべきものとし、なお、当審における訴訟費用については、同法第百八十一条第一項但書に則り全部これを被告人に負担させないこととする。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判長判事 坂井改造 判事 山本長次 判事 荒川省三)
弁護人貝塚次郎の控訴趣意
一、審理不尽について
証人威迫罪はその文理、法理解釈上、当然に威迫せられたとされる証人等が公判審理の段階上、威迫せられた後に証拠調を受ける可能性のあることを要件とする。若しその可能性がないものであれば、特に、これを罰する必要はないからである。そしてこのことは次に事実誤認の主張について述べるところの、公判の結果に影響を及ぼそうという行為者の積極的な目的意識をも要件とすることと関連する。
被告人に公判に影響を及ぼそうとする目的意識がなく、又客観的に見て、威迫せられたとされる証人等がその後公判で証拠調を受ける可能性がないならば、威迫行為は通常の暴行脅迫罪は構成しても特に証拠湮滅罪の一類型としての証人威迫罪を以て罰する必要がないからである。
飜つて本件を見るに、本件記録によれば影響を及ぼすとされる器物毀棄罪の公判状況については単に、被告人が「公判係属中である」と供述しているに止まり、果して客観的に真実その公判が係属中であるかどうか、どの程度の審理状況であるか果して大沢寛や、岩田栄次郎やその妻等がその後器物毀棄の公判で証拠調を受ける可能性があつたかどうかについての事実は認むべきものがなく事実があつたとしても証拠がない。特に岩田栄次郎とその妻に対する威迫に関してそうである。
従つて原審においては右に述べた客観的事実を証拠によつて確定した上でなければ有罪の判断ができない筈であるのに、原判決は唯漠然と、「器物毀棄罪の公判係属中」を理由に被告人の行為を証人威迫罪に該当するものと認定したのは事実並に証拠の審理を尽さない違法がありその違法は行為の有罪無罪に影響すること明らかである。
二、事実誤認について
既に述べたように、証人威迫罪は所謂目的罪の一種であつて被告人において、証人等を威迫することにより、公判に何らかの影響を及ぼそうという積極的な目的意識が必要である。然るに本件記録を見るに本件の証人大沢寛の証言や、岩田栄次郎らの供述調書を見るに形式的には威迫の事実がうかがわれるようであるが、その他の書証からうかがわれる同人等の人柄、生活態度等からすると、同人等は事実を誇大に吹聴していることが明白に認められ、
被告人の言動も、大沢や岩田の狡猾且つ憎たらしい態度に挑溌せられたものであることが判然している。
そして、被告人の一貫した供述を通じてうかがはれることは少くとも、大沢、岩田等を訪問した理由は単に示談のためであり、それが或る程度の口論に迄発展したのは、その場の相手方の態度、言語によつて惹起されたもので、被告人には、さきに述べたような意味の目的意識は全くなかつたということである。
この点についても、原判決は事実の認定を誤つているので、破棄を免れない。